急に始まる旅は、よい旅である。

旅は急に始まる。旅が始まったことに気づかない人もいる。旅は、ある日突然始まるのだ。旅が始まったことに気づくことができるかどうか。それは自分の外側の世界の力と触れ合うかどうかの生き方の問題である。決められた枠の中では、内側には真の意味は存在しない。コントロールの外側の世界に意味が存在する。
始まってしまった旅を、認められない者もいる。旅立ちを実行できない者もいる。旅立ちを妨害する者もいる。旅が始まったことを認めるのは、人間が自然の一部であることを認める一歩である。始まってしまった旅を、旅立たせるのは知性である。
旅の始まりに、旅の理由を問うのは野暮である。行った先にしか、理由は具現化されない。未来において、旅立つ前の過去が遡って変わるのだ。旅の道は柔らかく、柔らかい旅路は過去を操作し、変化させていく。想像以上に時間や空間は柔らかく、繊細なのだ。時間はさわれるものなのである。触れて、変形させられるものなのである。
急に始まる旅は、よい旅である。その静かながらも強力な力は、探していたなにかを提供してくれる。しかも驚くべき意外な形で。
人間は生まれた途端に何らかの社会的誓約を内包している。抗うことのできない、受容が求められることもある。
旅の力を信じるものに、道は与えられるのだ。